宮地古墳群・吉田第2号墳
2024/2/9
所在地 瀬戸市上之山町
宮地古墳群の説明板
 市内の古墳は、現在、確認済みのものが100余基あり、ほとんどが円墳で前方後円墳は、本地大塚古墳(市指定史跡)と宮地第1号墳の2基のみである。この地区の遺跡は、住宅団地造成に伴い滅失したが、この3古墳は、愛知県住宅供給公社の協力により現状のまま保存され「ふれあいの森公園」として整備された。
 また、昭和62年に発掘調査した吉田第2号墳(円墳)を本公園東側の団地外周部分に移築復元している。

宮地第1号墳(前方後円墳) 1基  (全長 約18.5m、前方部幅 約6.0m、後円部直径 約10.5m)
宮地第2号墳       1基
宮地第2号墳      1基
                             平成5年2月19日  市指定史跡に指定 瀬戸市教育委員会
吉田第2号墳の説明板
  吉田第2号墳は、6世紀末〜7世紀初頭に築かれた直径12mの古墳(円墳)です。被葬者を安置した石室は、片袖式(入口から片側の幅のみが広くなる形態)の竪穴系横口式石室です。
 竪穴系横口石室とは、初期の横穴式石室の一形態で、この古墳では石室の天井は低く入口部分に階段状の構造を持っています。竪穴系横口式は、西三河を介して九州北部に系譜の起源が求められる石室です。
この古墳は、昭和61年にサンヒル上之山団地造成に伴う発掘調査で、標高152mの丘陵頂部に、入口を西南西向きとして検出されました。石室は、花崗岩が長方形に積み上げられ、奥行3m、幅1.6mの床面には拳大の円礫が敷き詰められています。石室手前では石を積み重ねて入口通路を塞いでいました。石室から、装身具の碧玉製管玉・ガラス製小玉、武器の鉄鏃、工具の手斧、供献された須恵器坩・同はそう・土師器甕などが出土し、これらは瀬戸蔵ミュージアムで展示されています。
                                           瀬戸市教育委員会
宮地古墳群 <瀬戸ペディア(瀬戸市のHP)>
(瀬戸市上之山町)

 宮地古墳群は瀬戸市南部の豊田市境に所在する。現在のところ3基の古墳が確認されており、内1基は前方後円墳(宮地第1号墳)、同第2・3号墳は円墳とされている。この宮地古墳群の周辺には、他に吉田・吉田奥・塚原・来姓などの古墳群15基が確認されており、瀬戸市南部の矢田川流域における古墳分布の中心地になっている。これらの古墳はいずれも古墳時代後期に属し、その出土遺物から6世紀中葉から7世紀始めにかけての古墳群である。
 周辺は古墳公園として整備され、一角には発掘調査された竪穴系横口式石室をもつ吉田第2号墳が移築保存されている。

吉田・吉田奥古墳群 <瀬戸ペディア>
(瀬戸市上之山町2・吉野町・宮地町)
 瀬戸市南東部、国道155線と県道力石名古屋線(猿投グリーンロード)が交わる丘陵部に大型住宅団地が計画された。愛知県住宅供給公社による「サンヒル上之山」である。約31.5haの造成地には吉田古墳群・吉田奥古墳群と広久手古窯跡群の一部(7基)を包蔵しており、昭和61年から事前の発掘調査が実施された。
 造成地南東部の丘陵稜線上の標高165m前後の位置に吉田奥2・3・5号墳が並ぶ。2号墳は径12mの墳丘を持つ円墳で、主体部は北西に開口した長さ4.8m、最大幅1.1m、残存高1.1mの「竪穴系横口式石室」で、玄室から須恵器の廷提瓶・蓋坏、鉄製刀、ガラス玉などが出土した。3号墳は砂防工事で墳丘前半分が滅失、同5号墳も石積みの一部を残すのみであった。6世紀中葉ころの築造とされた。
 なお、古墳が想定されていた4号遺跡は中世の「小規模砦跡」であった。また古墳時代前・中期の住居跡4棟、土坑1基などを検出した「吉田奥遺跡」は鍛冶遺構が発見された。
 吉田古墳群(4基)は、吉田奥古墳群が所在する丘陵の北側に位置し、標高140〜150mの丘陵に立地している。粘土採掘によってすでに滅失したものが多く、尾根上に構築された2号墳が調査された。径11mの円墳で主体部は西南西に開口した長さ5.2m、最大幅1.45mの片袖構造を有した「竪穴系横口式石室」で、天井および側壁の石積みは滅失していた。玄室は長さ3.7m、床一面に5〜15cmの円礫が敷き詰められていた。玄室からは、須恵器のはそう・短頸壺、土師器の甕、刀子、管玉、ガラス玉などが出土、これらから7世紀初頭の築造と比定された。本古墳は、供給公社との協議で古墳公園に移築復元されることになった。(参考文献 上之山)
参考資料へのリンク   瀬戸の古墳(幡山地区2 吉田2号墳・宮地古墳群・塚原古墳群) | 愛知県瀬戸市歴史文化基本構想 (seto-guide.jp)
<団地外周路に立つ「ふれあいの森」看板 <国道155号線沿いの「ふれあいの森」北入口>
<国道155号線沿いの「ふれあいの森」南入口> <宮地古墳群説明版、散策路、休憩施設>
<宮地古墳群説明板> <「ふれあいの森」看板付近の吉田第2号墳説明板>
<宮地第1号墳(前方後円墳)> <宮地第2号墳(円墳)>
<宮地第3号墳(円墳)> <移築された吉田第2号墳(円墳)>
<吉田第2号墳石室(天井・側壁の石積み滅失)>
<メ モ>
・宮地古墳群は、住宅団地の外周路と国道155号線との間の傾斜地下部に存在する。国道沿いに並ぶ3古墳を巡る「ふれあいの森」という散策路や休憩施設のある公園になっている。団地側の入口には「ふれあいの森」という看板が立つが、国道155号線沿いの入口には何の表示もなく園内に入って初めて古墳群であることが分かる。(これまで幾度となく国道を通過していたが、木立に囲まれていて公園の存在を全く知らなかった)
・国道側の入口付近には駐車スペースが無く、車利用の場合は団地進入路から外周路を進み「ふれあいの森」に至る。
「竪穴系横口式石室」は数が少なく、竪穴式石室から横穴式石室へ変わっていく古墳時代後期の過渡的な形態の貴重な遺構という。また、この石室のルーツが九州北部にあることや舶来品のガラス製小玉が出土していることなど、当時は辺ぴであったと思えるこの地方にも文化的な交流があったことは興味深い。現在の国道155号線は丘陵の間の谷筋にあり、古墳時代にも道があったことは想像できる。その先どのようなルートで九州に繋がっていたのだろうか?
ホーム